琴の音色に始まり、和太鼓のパーカッションが祭囃子のように力強く打ち鳴らされる“和”のテイストたっぷりの新機軸な一曲でアルバムは幕を開ける。舞い散る桜吹雪とレーザー光線が一つの空間で交錯するかのような、ひたすらカラフルで濃密なサウンド。上昇するメロディに、思春期の少年少女の姿を綴った歌詞。彼らの王道である高揚感を貫きながらも新たなサウンドの方法論「avengers in sci-fiらしさ」を更新する、まさに“始まり”の一曲。
レイヴ感あるベースラインが引っ張る、“Yang 2”に続いてアッパーな一曲。ダンスミュージックをバンドサウンドに融合させようとするのではなく、あくまで3ピースのロックバンドとしてそれを“飲み込む”avengers in sci-fiの感覚が活きている一曲だ。〈うつりにけりなフォース〉〈ちりぬるレーザー〉と、万葉集や百人一首からサンプリングした言葉を散りばめる歌詞もキーポイント。独特の言語感覚で、春らしい恋焦がれる気持ちが射ぬかれている。
得意のエレクトロニック・サウンドをほぼ封印、シンプルなギターストロークからラウドに爆発するサビへと展開していくパンキッシュな一曲。ストレートなバンドサウンドの仕上がりには意外に思う人も多いかもしれないけれど、彼らのルーツでもある90’sグランジ~オルタナが反映されていると思えば納得。曲のイメージはボッティチェリの絵画「春」から導かれたものらしい。イントロの荘厳な響きには、空から光が差し込んでくるようなキラキラとした輝きも感じる。
シングルとしてもリリースされたこの曲は、アルバムの流れの中でもハイライトとなるナンバー。「Fireworks」(=花火)をモチーフにした、カラフルでドリーミーな一曲だ。幾重にもレイヤーになっているギターとシンセが、思春期の夢見がちな心情を歌うメロディを包む。前曲に続いて80s末~90s初頭の「セカンド・サマー・オブ・ラブ」を思わせるようなダンス・グルーヴもキーポイント。そういう意味でも、多幸感ある「夏」の曲。
《スカイウォーカーなら死ねない》という歌詞が耳に飛び込む、アルバムの中でも最もストレートな感情が爆発する一曲。歌詞のモチーフは、勿論ルーク・スカイウォーカー。四つ打ちのビートとディレイ・ギターのリフに導かれて、狂おしく愛を求める思い、手の届かないものに心を焦がす思いが、純度の高い「叫び」として曲になっている。これが、宇宙や未来のイメージを使って心の内面を描くという彼らの新しいモードだ。
今作でも最も挑戦的なナンバー。多重に重ねられたアカペラのハーモニーで《レディー・オーガナ 火を絶やさないで》と歌う幕開けは、まるで聖歌のような荘厳な美しさを持っている。人間の声を機械的に加工するオートチューンやヴォコーダーを、生声よりずっと生々しい感情を伝える新しい“歌声”として用いる発想は、ボン・イヴェールやカニエ・ウェストにも通じるとても先鋭的なセンスの具現化だと思う。ちなみに、曲名の「レディー・オーガナ」は、ルーク・スカイウォーカーの双子の妹、レイア姫のこと。
アルバム前半のフックとなるナンバー。野性的なパーカッションと太いベースラインが叩き出す前のめりなグルーヴ、曲後半のブレイクでの狂騒的なビートが印象的だが、メロディはとてもセンチメンタル。「2羽の孤独なツバメ」という曲タイトルの通り、寒空を背景に枯れた枝の上で寄り添う情景が浮かぶような一曲になっている。
「正直なアルバムだと思うんですよね。“伝えたい”という気持ちが、とにかく強かった。物語を書くよりも、自分を投影した曲になった。だからこそ、歌が重要になったんです」
1年半ぶりのアルバム『Disc 4 The Seasons』を完成させたavengers in sci-fi。一聴してまず気付くのは、その“歌”としての進化だ。時にメロウに、時に興奮を駆り立てるように、あふれだす感情がダイレクトに伝わってくるような楽曲群が詰まっている。多種多様のエフェクターを駆使し、エレクトロニック・サウンドを満載した独自のサイエンスロックを発明してきた彼ら。しかし、木幡太郎自身は、「ロックの宇宙船」というキャッチフレーズで称されるそのフォーミュラを今作で刷新する必要も感じていたようだ。
「これまで、avengers in sci-fiといえば、ひたすらアッパーで、ラウドで、とにかくライヴではしゃげる音楽というイメージがあって。そういうのを打破するタイミングを狙っていたというのもあります。特にシングルの“Sonic Fireworks”以降、そこは大きく変わったと思いますね。メロディに対してさらに意識的になったと思います」
タイトルの通り、“四季”を掲げた今回のアルバム。しかしそのコンセプトは最初からあったものではなかったという。
「今回はアルバムの全体像を作るというより、自分の中から沸き上がっているものが形になっていった感じなんです。アルバムのコンセプトを意識して曲を作っていくというよりも、感情自体が溢れて、それが形をなしたものが曲になったというか。ただ、それは一年を通して、季節の移り変わりを感じながら、自分の気持の移り変わりも感じながら作ったというのが大きいと思います」
アルバムを聴いていくと、そこかしこに“和”のフレーヴァーが息づいていることにも気付く。アルバムの冒頭を飾る“Yang2”での琴の音色や和太鼓のビートも印象的だ。
「まず、やりたいことの一つとして、トライバルなビート感というのがあったんです。それを日本人ならではの解釈で形にしたものを、自分たちの音楽に入れようと思った。そこから、和太鼓の音色や、祭囃しのような賑やかな感じを、バンドの音楽の中に落としこんでみようという。バンドそのものが宇宙や未来のイメージを持たれているので、そこに和太鼓やトライバルな要素を取り入れることで、ミスマッチの感覚が生まれると思うんです。そういう意味では、今回の世界観は、北野武監督の『座頭市』のようなイメージにすごく近いかも。たとえば桜の木の下でサムライがチャンバラしているんだけれど、持ってる刀はライトセーバーみたいな。そういう映像を音にしたいというところから始まっているんです」
“和”のテイストはサウンド面だけにとどまらない。“Psycho Monday”では万葉集や百人一首のような和歌から引用された言葉も歌詞に散りばめられている。
「百人一首って、すごく面白いんですよね。あれって、すごくTwitter的だと思うんですよ。いきなり会うんじゃなくて、まず歌を送って、あなたを慕っているという思いを伝える。感情を直接的な表現で伝えるんじゃないというところが、Twitterに近いと思う。で、そうするほうが、逆に響くところがあると思っていて。たとえば“好き”という感情を伝えるのに“好き”と直接言うのは、僕は嘘を感じてしまうんです。自己表現として音楽を作っているから、ピュアじゃない感情が混じったものを歌にすることはできない」
4枚目のアルバムで大きな変貌を遂げたavengers in sci-fi。それは、木幡太郎という人間がミュージシャンとしてどう音楽に向き合うか、何を表現に託すかという根本的な意識の変化から導かれたものだった。SF的な物語性を捨て、自分の心をさらけ出す音楽を作り始めた彼。では逆に、それでも変わらなかったavengers in sci-fiの“核”にあるものとは、なんだったのだろうか?
「やっぱり、ロックであることは変わらなかったんですよね。肉体に訴える音楽であるということ。僕らの音楽って、ダンスミュージックとロックの融合と言われることが多いけれど、決してそうではないんですよ。ダンスミュージックを引き合いに出されることが多いけれど、実はそうじゃないんですよ。ダンスミュージックはあくまでパーツとして使っているだけで、ダンスミュージックのようなマラソンのように持続する音楽を作っているわけじゃない。イントロからいきなり頂点にいくような、瞬発力のある音楽を作ってるんです」